世間と折り合いがつけられない?そうだ、OSを変えてみよう!
今、『青虫は一度溶けて蝶になる』という本を読んでいます。
メインの著者はお坊さんで、仏教の視点に立った世界観や生き方が中心の内容です。
ここにOS(コンピューターのオペレーティングシステムのことね)の話が出てきます。
例えば、人間関係がうまくいかない時には「あいつさえ〇〇であれば…」とか思ったりするもので、
これは自分を変えずに、自分の周りには変わってほしいと願っている状態。
(虫のいい話ですけど、ついそうなりますよね…)
そこで、あの手この手を尽くして、なんとか事態を変えようといろんな努力します。
けれども、それでもなかなかうまくいかない…
ならばいっそのこと、あの手この手の「ソフトウェア」の方を増やすより、
思い切って自分のOSを入れ替えちゃったらどうだろう?
みたいなことが書かれています。
では今まで使ってた自分のOSを、いったいどんなふうに?という疑問がわくのですが、これが、
(We)というOSなんだそう。
自分の中のOSを(I)から(We)にすると、次のように自分のありかたが変わるというのです。
I ⇔ We
分離 ⇔ つながり
浅い ⇔ 深い
狭い ⇔ 広い
結果 ⇔ プロセス
固い ⇔ やわらかい
複雑 ⇔ 簡素
その中で私が面白いと思ったのが、
つくる ⇔ つくられる
というもの。
つくる存在から、つくられる存在へ。
(We)というOSでいると、自分はつくられるひとつの個性ある素材でいられるということ。
何かをつくりだそう、変化させよう、と一人で頑張らなくても、
周りから活かされ、つくられる。(ここも仏教的な感じがするんですが、気のせいでしょうか?)
まだこの本、読みかけで途中なんですが、後半もとても面白そうです。