『サピエンス全史』がくれた問い⑥
その後、サピエンスが経験した大きな出来事に科学革命というものがありました。
おもしろいことにこれは何か「大きな発見をした!」いうことではなく、「自分たちは実は何も知らない!」ことをみつけたという、ミもフタもない大発見でした。ソクラテスの言った無知の地というやつですね。
それまで一般的なヒトは、どんな知的生活をしていたのかと言うと、「わからないことは教会の神父さまに訪ねましょう」だったようです。科学と物語が分離していなかったとも言えます。地動説なんてもってのほか。
私はこの話を決してバカにするつもりはありません。私の祖母でさえ「わからないことは、学校の先生によく聞くんだよ」と口癖のように言ってましたから。
「わからないことは、わからない」と認められるようになった。だから科学で検証しよう!という発想の転換につながりました。無知を認めるという経験は、大きな出来事だったのです。
とはいえ、当時、科学というものは、海のものとも山のものともつかないものでした。
雷は神の怒りで、疫病はたたりだと思われていた時代に、雷の日に外で凧あげをしたり、病死した人が腐っていくのを毎日観察した人は本当にすごいと思います。(当時は、周りの人から奇人変人扱いでした)
必要な技術は親から子へ、師匠から弟子へと教えられていた時代に、雷の日に外で凧あげをすることが、ある日神の怒りをよける避雷針に結びつくなんて、ほとんど誰にも想像できなかったでしょう。
さらに、本の中には、こんな文章が出てきます。
「科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない」
科学はその時の政治や経済(ここではイデオロギーと呼んでいる)によって方向性が定義されると意味です。
確かに戦争時にもてはやされるのは軍事技術で、食糧難にあうとバイオテクノロジーが脚光を浴びることになります。
つまり、私たちが現在享受している科学技術は、これまでのイデオロギーが求めた結果ということになります。
そうなると、多くの人が発症するであろう病気の新薬や、長寿に役立つサプリメントには、多くの投資がなされ、稀な病気や、人の興味をひかない研究には強力なパトロンがつかないことになってしまいますね(むむむ)。
いずれにしろ、科学革命がおこったことは人類の長い歴史上では、それほど遠い昔のことではなく、まだ解明されていないことはたくさんあり、科学そのものの使われ方も手探り状態であるというのが現状のようです。(つづく)