必要な情報はあるのに、なぜコーチやメンターをつけるのか
さて、先日ある方から「これだけ欲しい情報があるのに、何でコーチをつけるのですか?」という質問を受けました。
確かに。
今、たいていのことはネットで調べれば出てきます。メルマガだって、フェイスブックだって情報がいっぱいあります。
それでもコーチっているの?
これを私なりに考えてみました。そして浮かんだことは、「情報が多すぎるからコーチをつける人もいる」ということ。
インプットは多いけれど、アウトプットは少ない。いろいろなことを感じてはいても、言葉には出していない。詰め込み過ぎて、整理ができない。自分が大事にしているものの優先順位がつけにくい。そもそも、ほんとにそれが必要なのかが疑問。
実は人間のロジックって、よく飛躍するんですよ(私もそうです)。
「私は生きるのが不器用だから…」(誰と比べて?)
「失敗は許されない」(そう断言できます?)
「これが理想的なやりかたです」(何にとって?)
これはNLPでメタモデルと言われるもので、欠落や歪曲した思考のことを指します。いい悪いを問題にするのではありませんが、それがだんだんとモヤモヤに変わってきたりします。
そこで頭の中を整理したり、何をどう対処するのかについて一緒に向き合って話をします。ホントはその状況をどうしたいか、今はどういう視点から見たらいいか、ロジックに整合性があるか。そんなことをときほぐしながら考えたりします。
「生きるのが不器用」➩ 不器用でいいところはどこですか?
「失敗は許されない」➩ 許されるようにする方法はないでしょうか?
「これが理想的なやりかたです」➩ 求められるのは理想的なやりかたですか?それともユニークなやりかたでしょうか?
話し相手(コーチ)は情報の提供者ではなく、その人だけの答えや気づきに導くタクシーの運転手みたいな役割をしています。
そうして内側から出てくる答えには「あぁ、そうか!」というアハ体験もたくさんあるものです。
https://www.youtube.com/watch?v=wdiQg0vNMYo