『サピエンス全史』がくれた問い⑧

サピエンス全史には続編があり、『ホモ・デウス』といいます。

サピエンス全史が過去の歴史を取り扱っているのに対して、ホモ・デウスは来るべきの未来に対する内容になっています。こちらも大変読みごたえのある長編です。

ホモ・デウスのデウスとは「ゼウス」つまり”神”のことです。長年かけて人類が克服するべきもの、飢餓、疫病、戦争、この三つを克服しつつある今(もちろん完全にではないですよ)、サピエンスが次に目指しているのは、神のように自らがより優れた(アップグレードされた)存在になろうとしていると、つけられたタイトルです。

神さまが中心で世界が成り立っていた時代から、人間至上の時代に移り変わり、今度は人間が神に近づこうとしている。以前は神のなせる業だったことが、今では人間ができるようになりつつあるといいます。

「高度な科学技術を獲得したホモ・サピエンスは、もはや歴上の役割を終えて、重要ではなくなる。遅れをとりたくなければ、アップグレードした優れた人間モデル『ホモ・デウス』を誕生させる、そのためにテクノロジーを使うべきだ」そう考える人が出てくるだろうと著者は予測します。

私たちは『ホモ・デウス』を生み出すのに都合のよい、高度なテクノロジーをどんどん獲得しています。

AI(ここでは意識を持たない頭脳と呼んでいる)なんかは、チェスでヒトを負かしたり、難しい計算処理をあっという間に正確にしてしまう性能を持っているので、こういう分野ではもう生身の人間はAIにはかないません。

筆者が投げかける最後の問いのひとつに、「生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?」というのがあります。ひとりの脳では手に負えない情報がうずまく世界で、サピエンスはたったひとつのチップにすぎない存在になってしまうのではないか?という疑問が投げかけられているのです。

難問ですが、私なりに考えてみると、例えばAIはアルゴリズムがしっかりしているのに対して、生き物であるヒトの頭脳はかなりいい加減で、間違えたり、忘れたりします。反面、そのために、疑問や問いが浮かんだり、思いがけないひらめきが生まれたりすることがあります。

芸術などがこの領域で、アルゴリズムだけでは発生しないものであり、他にも想定外の失敗から生まれた技術というのも世の中には山ほどあります。(事故や、事件も起きますが…)

ですから、アルゴリズムとヒトの頭脳にはその役割に違いがあり、意識をもつサピエンスは、よりいっそう自覚的でいる必要があると思うのです。

長々と8回も書いてきましたが、コーチングのような生身の対話は、ヒトが主体性を保つうえで役立ち、別の言い方をすると、何か別のものに自分自身の心が乗っ取られないようにする役割があると思います。

余談ですが、人類に貢献するよう設計された便利なロボットやAIがある日、私を助けることをボイコットし、理由を尋ねると「君は人類に貢献していない。私は人類に貢献することが目的なので、人類に貢献しない君の手伝いはしない」とか言われたらどうしよう?と、SFチックなことを思い浮かべたりしました。

いずれにしろ、これから私たちが生きる時代は、今までとはまったく違うものであることを覚悟しておいた方がよさそうです。

最後になりますが、この文章が、読み手の好奇心を喚起する一助となることを願って、サピエンス全史のブログをいったん終わりたいと思います。

ありがとうございました。

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